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I'm mommy!

家族と手作り石けんのこと
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震災

1か月以上が経ちましたが、

これは震災のマミィの大まかな記憶を綴ったものです。


* * * * * * * * * *

3月11日、午後2時46分

東日本大震災のため、私たちの住む街も大きく揺れました。

私はまっちゃんとみっちゃんを車に乗せて、お友達の家に向かう途中、

ハンドルが揺ら揺らとゆれて、まっすぐ走れない感じがして、すぐに

おかしい!と気づき、車のスピードをゆるめます。


地震だ・・・・・


半端ではない揺れ。ただ事ではない、と思いました。

青い道路標識がぐらんぐらん揺れているのが見えて、

落ちてきては怖い、と思ったので手前で車を止めました。

次々と車が止まる。

横にあったガソリンスタンドやラーメン屋さんの従業員が

慌てて外へ飛び出してきます。

建物が崩れ落ちてくるのではないかと ひやひやしました。


揺れは長く続き、いったんおさまったかと思うと、また揺れ始めました。

信号は止まってしまっています。車から降りて様子を見に歩いていく人もいました。


揺れがおさまったので、他の車も走りだし、私達はそのままお友達の家に直行しました。

お友達は大丈夫かな・・・


到着すると、お友達の家はがっしりしていて、揺れもひどくなく、落ちたものも少ないというので

そのままお友達の家で休ませてもらうことにしました。

停電で何もかもストップ。電気もつかないし、暖房もつかない、寒い。

TVからの情報も得られず、全く何が起こったのかわからなかったのですが、

お友達が携帯ラジオを持っていて、それでニュースを聞きました。

普段聞きなれていないせいか(TVの映像にばかり頼りすぎているのね;)

ニュースを聞いていても、何がどうなっているのか詳細がさっぱりわかりません。

でも、大きい津波が来る、ということだけはわかりました。

お友達の実家は沿岸。

親は避難していると思う・・・と呟き、明るくふるまっていた彼女ですが、

心の中では相当心配されていただろうと思います。

(私は津波のイメージが全然わかないので、その時は事の重大さがよくわかってませんでした;)


不安をよそに、子供たちは元気に遊びまわります。

電気がなくても、暖房がなくても、全然へーっちゃら。

こんな時は、子供に元気づけられます。


電気も戻らず、暗くなってきそうだったので、家の様子も見なくてはならないので
 
家に戻りました。

家の中は本棚の本が半分、写真立てはわれて、観葉植物の鉢が落ちて床が泥だらけです。

まっちゃんの部屋も、本棚からの物や、おもちゃの棚が倒れてぐちゃぐちゃでした。


でも、思ったより被害は少なかったです。

濡れたところをさっと拭いて割れ物をかたずけ、

アパートの人達は皆、隣の高校体育館に避難するというので、

必要な物をバッグに詰めて、布団を少しもって 歩いて体育館まで行きました。


体育館には暖房があったので、助かりました。

心配だったのは、みーちゃん。寒くて風邪をひいたら大変、と思ってたのです。

よかった・・・


持ってきた少しのパンを食べて、アパートの人達と話をしながら過ごしましたが、

かなり大きい余震が1時間に4回くらいあって、

体育館の天井にあるハロゲンの電球がぐらぐらと音をたてて、

落ちてくるのではないかとひやひや・・ まんじりともせずに一夜を過ごしました。


次の日も電気が通らないので、とりあえず体育館に。

非常用の食料が市から配給されてきました。

バナナにみかん(笑)

そのあとは、お湯を入れて3分、いえ、30分待ってから食べる レトルトの五目御飯。(なかなか美味しかった)

あとは、大量のちくわ(笑)

高校の校長先生がリンゴを差し入れてくださいました。

夜は冷蔵庫の物を持ち寄って、灯油ストーブで調理をして皆で食べました。

チーズフォンデユもあったりして(笑)


幸い、市内に近い私達のアパートは、次の日の夜に電気が戻り、

私達も自宅へ帰りました。

(家の片づけは日中の明るい時に、リビングだけ済ませていました)


家に帰ってほっと一安心。

そして、TVをつけてみた映像は・・・・・凄まじい光景でした。


* * * * * * * * * *

それからは、物資不足が始まりました。

スーパーへ行っても食料がなかなか手に入らず、

一番深刻だったのはガソリン不足。

いつガソリンが入ってくるかわからないといい、

ガソリンが空で、地震の日の夕方にガソリンを入れようと思っていた我が家は車が使えません。

毎日歩いて幼稚園の送り迎えに、買い物をしていました。

大変でしたが、地元近くにあるお店が本当に有難かったです。

(普段はイオンとかに車でぴゅーっと行っちゃうんですけどね)


そして、ニュースで深刻だったのは福島第一原子力発電所の水素爆発による放射能飛散。

外国では、日本はもう危ない・・・というように言われ始めました。


当然、ダディの家族はとてもとても心配して、

一日に何度も何度も連絡をくれました。今すぐに帰っておいで!!とのこと。

私達も迷いました。が・・・・

まっちゃんは幼稚園の卒園式も控えています。

長く楽しく過ごしてきたお友達と最後の式を元気に迎えたいと思ってたのに。

そして、新学期には入学式もあるのです。その準備もしなくてはなりません。

アメリカの大使館からも電話がありました。

バスを用意したら、アメリカに帰りたいか? とダディは聞かれたそうです。


ダディはいろいろ調べて、「大丈夫、チェルノブイリみたいには今の状況ではならないよ、絶対」と。

その言葉を信じて、

私達はアメリカに行くのはやめました。

春休み、北海道へみっちゃんを初めて連れて帰省する予定だったので、

予定通り北海道へ行くことにしようと思いました。


北海道は、余震もなくスーパーには物がきちんと揃っていて、

買いたい物が買える状況に、妙に感動してしまったマミィ。

緊張がゆるんだのか、着いて次の日にはダウンしてしまいました。

まっちゃんも、みっちゃんも二人とも大変な最中でも元気でいてくれて、

子供に助けられていた毎日です。


* * * * * * * * * *

あれから・・・


お友達のご両親は無事、との連絡を貰いました。

よかった・・・・(涙)


今もなお震災による被害の跡が 亡くなった多くの人達 避難している人達が

原子力発電所で作業をしている人達が


1000年に一度の地震だそうです。

すごい確率で当たってしまった、と言っていいのかどうなのか

いろんな人の人生が、この震災で変わってしまいましたね。


いろいろ人が、地震の日にいろいろな思いを経験し、

今もいろいろな思いを抱えている人達がいます。

私も感じること思うことは多いですが、やっぱり一言では表せなくて。

でも、私が私の今できる生活を頑張るしかないのかなと思っています。


沿岸地区に引っ越したお友達は無事と連絡をもらいましたが、

今は向こうで子供たちのために絵本を募って、

避難所に配ったり、読み聞かせに行ったりしているそうです。


ダディは少しでもできることを、と

沿岸地区で瓦礫撤去のボランティアに行き続けています。

現地は想像を絶する光景だそうです。

撤去作業にも時間がかかります。

ダディが言うには、家の泥まみれになった物を全部処分する時に、

腐った水には流れてきた魚介類や、油、ごみ、泥など、すべての物が含まれていて

吐きそうなくらいの腐敗臭がする時もある。

これから暖かくなるにつれてそれが全部腐ってくれば、撤去作業にも支障がでるだろう、

だから早くやらなくてはダメだ・・・ とのこと。

子供がいなければ、私も撤去作業に行きたいところですが・・・

 Facebookに載せたダディの写真


皆がそれぞれにできることを頑張っている毎日だと思います。

早く現地の復旧が進みますように。

皆の心が癒され、安心して過ごせる日が来ますように。


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